イスラエルのジュードー史
リオオリンピックの柔道で銅メダル2つを獲得しただけで、イスラエルは天下を取ってしまったかのような大騒ぎになっています。
「我々は柔道大国。柔道はイスラエル国民のスポーツだ」って、いやはや。
銅メダルを取った日本人選手はお通夜みたいな顔をしているっていうのに。
さらには、「オリンピックでメダルを取った選手には、生涯の基本給として、最低賃金を保障しよう」なんて言い出す国会議員まで出て来る始末。一体、どこのソ連だよ?
とはいえ、イスラエルの法律上では、オリンピックの賞金には最大税率30%で所得税が課せられます。報奨金なんだから、こっちをどうにかすればいいのに。
こちらが、オリンピックでメダルを取った柔道選手(1992年から)
イスラエルに柔道協会が設立されたのは1965年。
1950年代から「柔道愛好会」があり、国連から派遣された日本人スタッフによる柔道教室が催されたりなどで、じわじわと知られるようになり、1964年に柔道がオリンピック競技に採用されたのを機に、イスラエルに正式な「柔道協会」が発足。
アメリカや欧州から講師を招いたり、柔道経験があるユダヤ移民が加わったり、はたまたキブツボランティアでイスラエルに来た柔道経験がある外国人が関与するなどして、小国ながらも柔道人気は高まっていったそうです。
そして1992年、オリンピックで初の銀メダルが取れたことで「ジュードー」がイスラエル全体で認識され、市民権確立。
実は、当キブツにも柔道講師A氏が管理する道場があって毎週柔道教室があり、かつてはイスラエル全土から集まるほどの夏合宿も開かれたこともありました。
1967年頃、たまたまうちのキブツにボランティアで滞在していた日本人男性が柔道経験者で、このキブツの道場発足に非常に大きく貢献したそうです。
A氏は高齢なので引退ましたが、現役だった頃は、私もたまに、柔道関係のヘブライ語翻訳を頼まれてやっていました。ええ、無償で。
ってことは私もちょっとは貢献しているのかもしれない。
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